最近、近所にあるツタヤが閉店した。そういえばもう数年レンタルCDもDVDも借りていない。
かつてはあんなに利用していたのになぜ利用しなくなったのかを考えてみた。
ツタヤがバタバタ閉店している
最近閉店した店を含めて私の家から半径2km圏内に3店のツタヤがあったが、現在では1店のみになってしまった。
ツタヤはレンタル事業自体が縮小しており、2011年から2020年までの10年間で売り上げが約35%も減少しているそうだ。
つまり日本中でCDをレンタルする文化が無くなりつつあるという事か。
ツタヤは生き残りをかけてネットレンタルもやっているが、あれも何だか時代とズレている気がする。
レンタルショップへ行かなくなった理由
実際に自分がなんでCDレンタルショップへ行かなくなったかを考えてみた。
聴きたいCDを取り扱っていない
CDを借りに行くって事は何か聴きたいCDがあるって事だが、私の場合ほとんど最新のJ-POPとかは聴かないので大量に仕入れてあった新作コーナーは素通りして端っこにある洋楽やサントラコーナーで借りる事が多かった。
しかしマニアックな音楽が多かったので探しても見つからない事が多かった。
昔、横浜元町にあった『フライングソーサー』ってマニアックな洋楽ばっかり取り扱っているショップがあって良く通ったな。この手のレンタルCDショップっていうのは日本全区探してもほとんど全滅しているだろう。
小規模レンタルCDショップは、大手のツタヤにほぼ駆逐されてしまった。そのツタヤが撤退したら何も残らないのは、商店街をつぶしたイオンが撤退したら何も商店がなかった状況に近い。
返却するのが面倒
レンタルするまではそれなりワクワクして借りるんだけど、返却するのが面倒に感じるようになってしまった。ただ返却ポストに入れるだけなのに用が済んだものに時間と手間を取られるのが惜しくなってしまった。
サブスクの登場
とどめはやっぱりこれだろう。
レンタルの場合、所有権はなく借りて聴くだけなのでそれなら最初から現物が無くても構わない。
ネット上で数億曲から選べるので上ふたつの理由『聴きたい音楽を取り扱っていない』『返却するのが面倒』もこれで解消されてしまう。
CDレンタルショップが厳しい理由
聴きかたの多様化
インターネットが普及するまでは、音楽はCDで聴くのが一般的だったが、現在ではYouTube等の無料メディアもあるし、ダウンロード、サブスク等に多様化されている。
わざわざショップによって借りる必要性は薄まってしまった。
これによってCDというメディア自体が青息吐息な状態だから仕方ない。
ヒットアルバムがない
レンタルCDがスタートした80年代はCD隆盛の時代で邦楽でも洋楽でもアルバム単位で数10万枚~数100万枚単位のビッグヒットが連発していたので当然レンタルする利用者も多かった。
2020年代に入り、ほとんど誰でも知っているようなヒット曲、ヒットアルバムというのは、ほぼ絶滅している。
ミュージシャンは楽曲を売る事で収入を得る事が困難になりコンサート収入にシフトしてきているほどお音楽業界自体が厳しくなっている。
料金を上げられない
そもそもCDの価格自体が3.000円前後で1980年代から変化がないのでレンタル価格も300円前後で40年経っても上がられるはずがない。
しかし時代と共に人件費、電気代等は確実に値上がりしており維持費は上がる一方でラーメン一杯が1,000円の時代になっても値上げできない厳しいビジネスモデルになってしまった。
まとめ
80,90年代のレンタルCDは、期間が3拍4日とかで現在よりもやや割高だったが、高いとも不便とも思わず利用していた。当時は現在よりもCDという存在の価値が高かったし、音楽自体の優先順位、存在価値が高かったように感じる。
レンタル自体が料金を払って借りて返すという面倒な行為だが、そのビジネスモデルが通用していたのはCDを購入するよりも安いという理由だけだった。
だが、時代と共にレンタルCDは面倒で使い勝手が悪いサービスに変わってしまった。
定額で聴き放題や無料で聴けるものに料金を払って返却する面倒まで負いたくないのが利用者の実情だろう。
何よりもCDが売れない時代なのだから、レンタルする利用者が減るのはごく当たり前の事だった。
CDレンタルが滅亡するのは近い将来なのかも知れない。
コメント