『世界を売った男』は、ボウイの作品中、一般的に滅多に話題にならず評価もされていないのだが、ファンの間では隠れ名盤として知られている通好みのアルバム。
まだベースはトニー・ヴィスコンティが担当していたが、バンドのスパイダース・フロム・マーズ(この頃はまだハイプと名乗っていた)のメンバーも固まり、初期のフォークからロック・バンドらしいサウンドに変化する。
前作『スペイス・オディティ』までのボブ・ディランに憬れるフォーク歌手だったボウイがロックミュージシャンになった瞬間だった。
- 円軌道の幅
- オール・ザ・マッドメン
- ブラック・カントリー・ロック
- アフター・オール
- ランニング・ガン・ブルース
- セイヴィア・マシン
- シー・シュック・ミー・コールド
- 世界を売った男
- スーパーメン
バックバンド結成によりサウンドが明確化
『世界を売った男』のアルバム全体を支配するハードロック的なアレンジは、後のスパイダース・フロム・マーズとなるバックバンドの存在が大きく、特にギターのミック・ロンソンが1曲目から大活躍している。
『円軌道の幅』は、そのミック・ロンソンのギターリフを多用したハードロックナンバー。
当時としては、プログレ以外のロックで8分を越す大曲は異例だったが、その奇想天外な曲展開は、どことなくキング・クリムゾンの影響を感じさせる。
『オール・ザ・マッドメン』や『ブラック・カントリー・ロック』の引きずるような重いベースラインに引きつったヒステリックなギターリフの組み合わせ、そして突然テンポアップする展開などを聴くと、いかにスマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンがこのアルバムから影響を受けているのかが良く分かる。
Black Country Rock
タイトル曲『世界を売った男』
この曲の発表から20年後にニルヴァーナのMTV アンプラグド・ライブでのカバーにより再評価され、ボウイ本人も気を良くさせてそれまでほとんどライブでも演奏される事のなかったこの曲をライブレパートリーに復活させた。
カート・コバーンがこの曲を気に入ったのはよく理解できる。
アルバム『世界を売った男』の中には、歪みまくったノイジーなギターサウンド、メジャーコードだけでマイナー感を出すコード進行などグランジ・オルタナティブロックの原型が見て取れる。
カート・コバーンについてボウイは「彼が僕の作品を好きだったと聞いて光栄だ。他に言うべき事はない」と95年のインタビューで語っている。
3種類のジャケット
『世界を売った男』のアルバムジャケットは全部で3種類存在する。
現在流通しているのは、ボウイがドレスを着て横たわっているジャケットだが、これは当時としてはとんでもない写真だったらしい。
オネエ系のタレント等がゴールデンタイムやCMでTVに出まくってる今の日本では理解しにくいが、ロンゲで化粧をして胸の空いたドレスを着た男の写真をアルバムジャケットにする事でのトラブルを恐れたレコード会社のRCAが、何故か頭を銃で撃ちぬかれたカウボーイのジャケットに差し替えたのだった。
再発した時はジギー時代の足を蹴り上げたジャケットも使われていた。
CDの時代になってやっと元のドレスカバーになったいわくつきだった。
異質だが可能性を感じるアルバム
全体的にハードで暗いイメージの『世界を売った男』のサウンドの原因は、レコーディングの少し前に父親が急死した影響と言われている。
また当時、妻アンジー(ローリング・ストーンズの『悲しみのアンジー』のモデル)と新婚で、ほとんどスタジオに来なかったボウイから渡された曲のアイディアと骨組みを元にギターのミック・ロンソンとプロデューサーのトニー・ヴィスコンティがほとんどのアレンジをほどこした作品とも言われている。
結局、ボウイが仕事をしたのはレコーディングの最後の3日間のみだとヴィスコンティは主張している。
その3日間でボウイは『円軌道の幅』以外のアルバム収録曲の作詞作曲をこなしてしまったという。
アルバム総評
ハードロックを基調に時にフォーキー、ブルージーに曲調を変えながらギロなどの珍しい楽器を交えつつ、すでにミック・ロンソンを中心とするバンドサウンドになっており、アルバムを通して統一感が生まれた。
しかし、このデヴィッド・ボウイのフォークからハードロックへの急激な音楽性の変身は『スペイス・オディティ』を気に入ったファンには受け入れられず、セールス的にはまったくと言っていいほど売れなかった。
『世界を売った男』での暗さと重さは、ボウイのキャリアの中でもかなり異質で一時的なものだった。
この次のアルバムからは、バンドの結束力をより強めて分かりやすい方向で例のキャラクターを模索していくのだった。
それにしても勝手に世界を売るなよな・・・
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⇒ハンキー・ドリー(1971年)
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