レッツ・ダンスの大ヒットから間を置かずに発表されたアルバム『トゥナイト』。
収録曲の大半がカバー曲を占める内容に当時の多くのファンは失望し、これでボウイは終わった・・と感じたらしい?
- ラヴィング・ジ・エイリアン
- ドント・ルック・ダウン
- 神のみぞ知る
- トゥナイト
- ネイバーフッド・スレット
- ブルー・ジーン
- タンブル・アンド・トゥワール
- アイ・キープ・フォーゲッティン
- ダンシング・ウィズ・ザ・ビッグ・ボーイズ
カバー曲+シングル曲という構成
従来のファンには賛否両論だった『レッツ・ダンス』だが、変化を好むボウイが同じ系統のアルバムを続けるわけがないと言うファンの期待もあったに違いない。
しかし発表された次のアルバムである『トゥナイト』は明らかに前作の流れを引き継いで薄めたような内容だった。
これによって多くのボウイファンはボウイに初めて「裏切られた」と感じたとしても不思議ではない。
多忙によりワールドツアー中の曲作りが出来なかったボウイは、イギー・ポップと共作した曲、ビーチ・ボーイズの『神のみぞ知る』などのお気に入りの曲のカバーをアルバムに入れる事にした。
そうしないとアルバムの曲が埋まらないからだったからだが、イギー・ポップの作曲した曲が多いのは当時困窮していた彼に印税を渡すためだったからなんて噂もあったほどだった。
オープニングの『ラヴィング・ジ・エイリアン』(PVで鼻血出してるのはなぜ?)ではボウイらしいミステリアスでオリエンタルな曲で「おおっ!」と期待感が高まる。
しかし、ビーチ・ボーイズのカバー、『ゴッド・オンリー・ノウズ(神のみぞ知る)』、ティナ・ターナーとのデュエットしたテーマ曲『トゥナイト』などがびっくりするほどあっさりとBGMとして耳をすり抜けてしまう。
スケアリー・モンスターズまでのBGMになるのを拒むようないびつで魅力的なボウイの楽曲の中にあったアーティスティックな姿勢は感じられず、むしろ積極的にBGMになろうとしているようにさえ思える。
『ラヴィング・ジ・エイリアン』を除くトゥナイトの収録曲の中で唯一の救いはシングルになった『ブルー・ジーン』しかなかった。
ドラマ仕立ての長編PV(80年代半ばはMTVブームでこの手のPVが流行っていた)ではボウイ自身がジギー・スターダストをイメージさせるロックスターとなんとさえない学生役!(無理ありすぎだってば)2役を演じた。
日本人にはすぐ分かるが、ボウイの振り付けは歌舞伎の動きを取り入れたもので、来日時に坂東玉三郎に歌舞伎のメイクを教わったエピソードがあるが、その時にヒントを得たのかも知れない。
アルバムのプロデューサーは、ヒュー・パジャムとヒートウェイヴのデレク・ブランブルの2人。
ボウイと相性が良くなかったブランブルは、途中退場してしまい、残りはパジャムがやる事になった。
後にパジャムはこう語っている。
「よく練られていないアルバムだった」。
「もし僕が最初からプロデュースしていたら、もっと良いものになっていたでしょう。デヴィッドが完成させなかった曲もあったのですが、アルバムに収録された曲よりも、よっぽど良いものだと感じていました」
アルバム総評
レッツ・ダンスには、ナイル・ロジャースという強力なサウンドのリーダーがいたが、『トゥナイト』にはその役割を果たす人物はいなかった。
それがアルバム全体の中途半端さを印象付ける形になってしまっている。
『ブルー・ジーン』のPVはボウイを代表する映像作品になってアルバム、『トゥナイト』はついに全米1位になった。
しかし、その反面このアルバムでは失うものが多すぎたかもしれない。
MP3試聴&ダウンロード
Tonight (2018 Remaster)
Next⇒ネヴァー・レット・ミー・ダウン(1987年)
【おすすめ関連アルバムレビュー記事】
アンダー・プレッシャー
現在ではアルバムに収録されていないが、かつてはボーナス・トラックとしてクイーンと共作した『アンダー・プレッシャー(Under Pressure)』が収録されていた。
当時は双方が迷走期だったので実現したコラボレーションだったかも知れない。
ボウイは90年代にこの楽曲をツアーのコンテンツに加え、フレディ・マーキュリーのパートはベースのゲイルを起用する事で再現させた。
そしてそのまま最後のツアーまでレパートリーとして演奏され続けたのだった。
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