ひっそりと1967年にデッカから発売されたデヴィッド・ボウイのソロデビューアルバム。
代表曲は一切収録されていないし、派手なロックナンバーも無しなのでボウイのキャリアを語る上でほとんど無視され続けているアルバム。
でも聴き返して見ると未完成の魅力が詰まった意欲作。
- アンクル・アーサー
- セル・ミー・ア・コート
- ラバー・バンド
- 愛は火曜まで
- 幸福の国
- ウィ・アー・ハングリー・メン
- 僕の夢がかなう時
- 哀れな砲撃手
- 愚かな少年
- マーケット・スクエアの玩具売り
- 仲間になれば
- 勲章をもらった女
- ボンド・ストリートの娘達
- グレイヴディガー(墓掘り人)
才能開花前のデビューアルバム
一般的にデヴィッド・ボウイのアルバムは、RCAと契約した『スペイス・オディティ』からと言った印象が強いのはこのデッカから発売された『David Bowie』と言う名前がそのままのタイトルになっているデビューアルバムの印象がかなり薄いためだ。
セールス的にもさっぱりで、たったアルバム1枚でデッカからは契約をあっさり切られた。
その後にRCAから発売されたアルバムも『David Bowie』というタイトル(のちに『スペイス・オディティ』と改題) で発売されたので区別するためにこちらを『デラム・アルバム(Deram Album)』と呼ぶことがある。
確かにこのアルバムはジギー・スターダストやロウを聴いてデヴィッド・ボウイを気に入ったファンが満足できるような内容ではなく内向的なフォーク調の曲と管楽器のアレンジは日本人には特になじみが薄く聴きづらくなってしまっている感は否めない。
だからこのアルバムを聴こうとする事自体がかなりのボウイマニアである証なんじゃないかと。
『ラバー・バンド(Rubber Band)』は、当時としては珍しいプロモーション・ビデオを撮影してパントマイムも取り入れた意欲作だが、その試みが成功しているとは言い難い。
『愛は火曜まで(Love You Till Tuesday)』は、ポップだけどまるでメロドラマの主題歌みたいな甘さだし、全体的に鋭さよりも繊細さばかりが目立ってしまう。
ワルツのリズムの『哀れな砲撃手』、曲調が突然変わりサンプリング的手法が使われる『仲間になれば』、バンド演奏が無く一人芝居的な『グレイヴディガー』など、持っているアイディアを思いっきり詰め込んだために曲によってスタイルが違いすぎてアルバムとしてのトータルのイメージが全くつかめないのが残念。
デヴィッド・ボウイという人はアルバムごとにイメージやサウンドをガラっと変えて聴き手を裏切るのがスタイルだが、それを1つのアルバムでやっているので展開が速すぎて聴き手がついていけないのだ。
方向性も曲作りも定まっていない収録曲中の数少ない聴きどころは、ストーリー性を感じさせる歌詞と曲調で徐々に盛り上げる『僕の夢がかなう時(When I Live My Dream)』くらいか。
アルバム総評
アルバム全体を最後まで聴いてみても、まあそりゃ売れないわなっていう地味で散漫な印象は否めない。
それでも個々の曲は地味ながらボウイの曲らしさが出ているし歌唱法もすでにほとんど出来上がっている。
やっぱりアルバム『デヴィッド・ボウイ』はボウイの原点なんだ!って実感できるのだった。
最近では本作にデラムレーベル在籍時の音源を13曲追加した『デラム・アンソロジー』としてアルバム『デヴィッド・ボウイ』がまるごと収録されている編集盤が発売されている。
⇒Next スペイス・オディティ(1969)
デヴィッド・ボウイアルバムレビュー一覧
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