ブームタウン・ラッツの代表的アルバムだったにもかかわらず長らく入手困難だった日本盤がシングルのB面を加えて待望の再発。
1979年にリリースされたタイトル曲『哀愁のマンデイ』は、全英NO1ヒットとなったバンドの代表曲。
- サムワンズ・ルッキング・アット・ユー
- 涙のダイアモンド・スマイル
- ウィンド・チル・ファクター(マイナス・ゼロ)
- ハヴィング・マイ・ピクチャー・テイクン
- スリープ(フィンガーズ・ララバイ)
- 哀愁のマンデイ
- ナッシング・ハプンド・トゥデイ
- キープ・イット・アップ
- ナイス・ン・ニート
- ホエン・ザ・ナイト・カムズ
- エピソード#3
- リアル・ディファレント(Bサイド)
- ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ?(Bサイド)
- レイト・ラスト・ナイト(Bサイド)
- ナッシング・ハプンド・トゥデイ(ライヴ)
一時期はプレミアが付いていたブームタウン・ラッツの代表作
日本で発売の予定だったのがいつの間にか無期限延期になって忘れていた頃に偶然CDショップで発見した1枚がザ・ブームタウン・ラッツの『哀愁のマンデイ』だった。
私がブームタウン・ラッツを最初に聴いたのはに洋楽メインを取り扱っていた元町のフライングソーサーというレンタルショップで借りた高校生の時だった。
そこで借りて聴いたのは『哀愁のマンデイ』ともうひとつのアルバムから代表曲をセレクトしたアルバムだったと記憶している。
「これはカッコいい!」と思ってCDアルバムを買いに行ったらすでに廃盤だと知ってがっかりした思い出がある。
ずっと日本盤が発売されずに入手困難だった時代が続いたのでレンタルCDを借りてカセットテープに録音した音源をずっと聴いていた。
その後、ブームタウン・ラッツは欧米でもCDが廃盤になり入手困難のためネットオークションで定価をはるかに越える価格で取引されていた時期もあった。
それだけ需要があるのになんで長らく廃盤だったのか不思議だが、バンドとしての正当な音楽的評価ではなく活動家としてのボブ・ゲルドフのイメージが強かったのとソロになってからの作品が失望ものだったからかもしれない。
一番ヒットしたのはもちろん全英NO1になった i don’t like mondaysだけどこの曲はむしろほかの曲と比べて異質で決して哀愁のマンデイだけで語られるバンドではない。
アルバム総評
ブームタウン・ラッツという微妙な評価をされているバンドの代表アルバムである『哀愁のマンデイ』を聴いた人ならわかると思うが、この時期のボブ・ゲルドフは紛れも無く天才だと思えるほどの輝きがあった。
さらに同時期のバンドと比較して音楽性も演奏技術もかなり高いレベルだった事に驚かされる。
一般的にブームタウン・ラッツは、音楽的にはパンク・ニューウェーブのバンドって認識されているはずなのにパンクと言うには複雑で凝っていてプログレと言うにもポップ過ぎるし、このサウンドは誰にも似ていない独自のものだった。
今回アルバム『哀愁のマンデイ』を改めて聴いて見てボブ・ゲルドフの声や歌いかたってマーク・ボランっぽいなって気づいた。
そういや男声のファルセットのコーラスはTレックスっぽい。
ボブ・ゲルドフもマーク・ボランのように早死にしてたら伝説になっっていたのかも知れない。
【アルバムデータ】
- リリース 1979年
- プロデュース
- チャート 全英 7位
コメント
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> ボブ・ゲルドフも早死にしてたら伝説になったかも?
早死にはあり得ないタイプですね(笑)
計算高く、用意周到で長く生きそう(金儲けしそう)。
あいどーんらいくまーんでいぃ
懐かしいですね。今日はちょうど月曜日♪
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まー何だかんだ文句言いながら長生きしそうなタイプではありますね。
でも結構不器用なヤツだと思うのですよ。
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やっぱり一般的にはバンド・エイドでの活動の方が有名なんですね。
あ、アイルランド出身だけどフォーキーって感じじゃないですよ(^^;
でも聴いて損はないと思います。